お金の相談室 みずさわ byいわて水沢FP事務所

自己紹介

(プロフィール)————————————
名前:千葉 雄大 (ちば たけひろ)
出身地: 岩手県一関市花泉町
 
住所: 岩手県奥州市水沢
事務所所在地:岩手県奥州市水沢里鎗3-2-402
 
生年月日:1982(昭和57)年7月
 
家族構成:妻、子ども3人(長男/次男/長女)
【学歴】
花泉町立永井保育園 → 花泉町立永井小学校→ 花泉町立花泉南中学校 → 国立一関高専(物質化学工学科、35C)


【趣味】
 サッカー(小学生の頃から、ポジション:DF・GKなど)、
 好きなサッカーチームは、小学生の頃から変わらず浦和レッズ。we are REDS!!とスタジアムで叫びたいです。 好きなプレーヤーは福田正博、ブッフバルト、ブッフォン、カンポス など。
 フットサル(20代から、ポジション:GK中心)
 社会人になってから、カラダを動かしたいなぁ~と思っていたところ、職場の先輩に誘われ始める。サッカーとも違う戦術も面白いです。 スポーツ番組を見てプレーの見取り練習してます(笑)
 サイクリング(30歳過ぎてから、愛車は折り畳み自転車)
 30代半ばに差し掛かり、カラダのメンテナンス(主に体重)のために始める。facebookのタイムラインに色んな方の自転車の投稿に影響を受けています。
【性格】
 冷静な雰囲気、たまにバタバタしていても、気付かれません。 好奇心旺盛、気になった事はまずやってみて、調べてみて。
 喜怒哀楽が分かりづらい。
 
【これまでの経緯】 (長文です)

●岩手県職員(県税)(~平成22年3月)
    →装置開発零細企業(平成22年4月~)
 新卒で拝命した岩手県職員時代は、平々凡々と過ごしていました。たまに、同期などの周りの方を見ていると、退職者がチラホラ。「なんでも、別なところから声がかかって、退職したらしい。」そんな事を聞いて、「いつかは自分も!!」と気持ちを燃やしていました。
 資格試験に取り組み始めたのもこの頃です。司法書士資格の勉強を4年程続け試験も受けました。役所は、法律(条例)での仕事なので、法律の勉強は役に立ちました。
 その頃、既に家族(妻子)もいましたので、受験に専念するために辞める、という覚悟は持てませんでしたが、「この状態からいつか抜け出す」という気概だけもっていました。
 そんな私に声を掛けてくれたのは、高専時代の恩師でした。恩師から「自分の退官のタイミングで会社を立ち上げるから、ウチを手伝わないか?」とのこと。しかも、商品は自分が卒業研究した装置。「これだ!」と思った私は、その年度で岩手県を退職し、恩師と小さな会社を始めます。

●装置開発零細企業
  (→個人代理店)(~平成23年9月)
 今思えば、販売できる商品が出来上がっていない状態での新規開業は無謀だと思います。
しかし、教育と研究一筋だった社長(恩師)と、公務員しか経験していない私は、「特許をとったし、良い商品をしっかり作れば、いずれ売れる!」という希望を持ち、更なる装置の改良に打込みました。当初は、とある会社から支援も受けており、その会社が販売した場合は売上を按分する約束もしていたからです。その会社の研究開発部門的な位置にあったのです。
 ところが、社長が大きな決断をします。
 「支援してくれていた会社と距離を取る」
支援してくれていた会社が、販売できる商品がなかなか出来上がってこない事から、製品に関する色々な注文をだしてきたのです。自分の完全に納得できるものを世に出したい社長には、余計な注文です。
 そこから、自社での販売も積極的に考える必要が出てきました。研究開発にお金がかかるからです。
しかし、社長も私も営業の経験はありません。社長は「良いモノはクチコミで売れるから営業はそんなに必要ない」と思っています。何も知らなかった私も、「そうかもな・・・」と思っていました。
              大きな間違いでした。
どの会社も、基本的に良いモノ・サービスを売っています。それを知ってもらう、提供するために、営業を行います。クチコミで売るにしても、最初は新規の顧客が必要です。
              やはり、営業をしないと売れません。
徐々に減る会社の資金、なかなか進まない製品化…。
そこで、私が取った判断は、「会社に籍は置いたまま、別な所で自分に営業力を身につけよう!」ということでした。営業は不要と考える社長と私の意見は交わることはありませんでした。しかし、給料を貰っていた私は会社の費用を少しでも減らそうと思い、結果、私は会社に籍はおきつつも給料は貰わず、個人の生命保険募集代理店を開業することとなりました。

●(個人代理店)(~平成24年8月)
   →外資系生命保険会社(平成24年9月~)
代理店としての登録はとてもアッサリしたものでした。金融庁への届出と、簡単な資格試験を受けるだけ。それでOKです。
 さあ、いよいよ自分自身で営業するところになりました。ただ、右も左も分からない私は、そのときに契約していた保険会社の研修を鵜呑みにして活動していました。
 その保険会社の考え方はざっくり次のような感じです。
 友人知人へ挨拶をして、保険契約する。次に事務所近隣へ飛び込み訪問して、保険契約する。半年~1年経つと、紹介が出てくる。これをしっかりやればOK!!
 私の動き方が悪かったのか、なかなか契約はなりませんでした。紹介もありませんでした。
営業って大変かも、と思ったものです。
 その中で、代理店主の仲間ができました。ふと気付いたら、その方は他社へ移籍していました。
 移籍先は、そう、外資系生命保険会社です。私も、その方からお声かけ頂き、その外資系生命保険会社へ移籍することになりました。
 実は、同じようなタイミングで、思いもよらぬ事が起きました。
        社長(恩師)の心筋梗塞での急逝。
              そして、装置開発会社の廃業。
私の営業力を還元する目的だった会社が無くなってしまったのです。
そのため、私は、せっかく入った生命保険業界でのステップアップとして外資系生命保険会社へ入社しました。

●外資系生命保険会社(~平成27年8月)
  →FP事務所(平成28年3月~)
 保険会社の直販社員となった私は、今までとは全く違う研修を受けました。
同じ生命保険業の会社なのに、こんなにも違うものか!と思ったものです。
そのときの同期も、外車ディーラーの店長だった方、他者保険会社でマネージャー(支社長)だった方、郵便局員だった方とバラエティにに富んだメンバーでした。大半は一年弱で退職しましたが。
 幸い、私は同僚にも恵まれ、今まで取り組むことの少なかった法人保険などにも取り組むことができ、自身の保険営業としての幅の広がりを実感することができました。
 そして、この頃にようやく、
                  「保険=ツール(道具)」
という考え方になりました。
 どういうことかというと、「どうしてもこの保険に加入したい!!」という保険が目的の人は稀です。
「何かしらのお金に関する問題」の解決策に保険が合致すれば、保険契約するのだと。
 そんな気付きもあった保険会社勤務でしたが、体調不良が原因で退職することになってしまいました。
 退職したものの、
 保険業界で色々と学んだことがありました。
 私を信じて保険を契約してくれた方がいらっしゃいました。
 そんな人がいるのに、「もう辞めた!」と言いたくない自分がいました。

 そのため、退職後にファイナンシャルプランナー(FP)資格を取得し、個人事務所をスタートしました。
 実は今まで、お金を扱う仕事(保険)をしていたのにも関わらず、お金に関することで色んな失敗をたくさんしてきました。

  人によっては、「人生終わりだ…」と思ってしまうようなことも体験しています。

なら、この体験、そしてファイナンシャルプランナーの勉強をして得た知識を提供して少しでも人の役に立ててもらおう。
その想いをもって、日々活動しています。

最後までお読みいただきありがとうございます。